第1回 サラブレッドは異種配合で
 

 親に勘当され、かけおち同然に施設を飛び出し2人きりの生活をはじめた愛人(ラ・マン)選手とワルキューレ瑞穂選手に新しい家族が誕生しました。

 1997年9月20日の深夜、陣痛が始まったという知らせを聞いた私とゴッドファーザー夫人は、野次馬根性むきだしで、ふたりの愛の巣に乗り込んだのです。

 到着すると、瑞穂選手は新日本プロレスのテレビ中継を見ながら苦しそうに腰をさすり、我が子誕生を前に騒ぎすぎたラマン選手は、疲れて奥の部屋でスヤスヤとお休み中。自宅出産のため、産婆さんもスタンバイし、赤ちゃんの誕生を今か今かと待っていました。

 しかし、赤ちゃんはなかなか登場せず。とうとう朝を迎えました。午前3時頃に目を覚まし、のんきに将棋をさしてたラマン選手も、いよいよ生まれそうだとなると、瑞穂選手の横に座り込みます。

 瑞穂選手は、しっかりとラマン選手の足を握りしめ、力みはじめます。産婆さんも出産というイベントを、あの手この手で盛り上げます。例えば、赤ちゃんの頭が出かかったところをラマン選手に触らせようとしたりするのです。まさにテクニシャン。

 やっとの思いで誕生した赤ちゃんは、クシャッとなってしわしわでしたが空気に触れてからボワンと若干膨らんで、元気に手足をバタバタさせていました。

 あんだけ苦しんでいた瑞穂ママも、生まれてしまえば余裕の笑顔。赤ちゃんの身長を計っている産婆さんに「オチ○○ンは計らないんですか?」「タマ○○がでかすぎる……大丈夫かな……」とわけのわからない事を聞いていました。ラマン選手も、細い目をさらに細めて、得意の足技で我が子をツンツンとつついていました。

 へその緒を切り、タオルの上に寝かせるとブリブリと初ウンチ。産婆さんから「初めてのウンチは栄養分があり過ぎて、なかなか汚れが落ちないから手洗いしてから洗濯機にいれてね」との言葉をいただき、記念すべき初ウンチを私が洗わせていただきました。女社長にこんなことをさせるなんて……きっと大物になるわね。

 めでたい誕生の朝、私たちは眠い目をこすりながらとりあえず3歳で試合にデビューさせるという契約書にサインをしてもらい、家路についたのでした。